無抵抗

さまざまな試行をして、
まったく反応のないもの。
手ごたえのないもの。
存在さえ確認できないもの。
その糸口は見当たらない。
その存在が信じられない。
もうやめる。
いや、やめることなどできるのか?
 
何度もやめようと心に誓い、そして忘れ、また試行。
またやめようと誓う。
もういやだ。
 
自分が確かに存在しているという糸口を見失っているのならば、
やはりその存在は認識できない。
その糸口を見つける方法が見つかるのか?
 
知的障害者に理解させることがほぼ不可能なことがある。
例えば、自分が我慢して他人に譲るという行為に思考が及ばないものがいる。
これは知的障害者に限ったことではないが、
譲ることで、得るものを知るには、相互、全体の関係性をある程度理解していなければならない。
理解が及ばないから、己を犠牲にすることはできず、
本能が出す命令が優先され、我慢できないのは当然のことである。
 
そんな状態になっているのだろうか。
もし、自分が完全な盲目であるとするならば、光を見出すことはできないのか。
 
今回出た結論は、自分は光合成の勉強を続けることである。