何をさせたいのか

凶悪な殺人事件があれば、テレビのショーはかなりの期間、それを延々とやっている。
 
ある程度すると使い古されたように放送されなくなる。
 
名探偵コナンも子供向けに殺人事件を見せまくっているが、
殺人事件=話のネタ にすぎない みたいになっている。
おかしいと思う。
だがそういった事件をサスペンスドラマ的に仕上げて、ともにスポンサー広告を挟めば、儲かるのだから、
問題の根本は、見る側の視聴者にあるとも思える。
 
ある程度まともな放送局であれば、その事件からどのような教訓が得られるのか?
というところまでやることもあるが、
たいていその犯人の属性や異常さに注目し、そういった符号=問題という風に片付けて終わりである。
あるいはこういう教育がダメだとか、親がダメだとかそんな話である。
根本的な解決まで見出すようなものは少ない。
 
そういった報道がなされているにもかかわらず、事件が減らないのだから、
マスコミが一生懸命その事件を報道しようと、すまいと意味が無いのだ。
根本的な解決に向かわないのだ。
むしろ番組的には定期的に殺人事件はあってくれたほうがネタに困らないのだ。

引き継ぐべきもの

NHKのU−29で会社や社会の規範に縛られない自由な働き方を紹介する場面があった。
 
20代だけで考えたことを話すという趣旨なので、それはそれで良いと思った。
ただ、すべての若者が同じ道を目指すとすればとんでもないことだと思った。
 
今、戦後70年ということでさまざまな情報が開示されている。
歴史を学ぶことで自分たちが如何に過去から恩恵を受けてきたかということが分かると同時に、
歴史は我々に多くの課題を突きつける。
 
それに立ち向かう者がいなくなるとすれば、また同じ過ちを繰り返すだけである。

色々と思ったこと

前の記事から、自分の状況は一変している。
 
引っ越した。
結婚した。
夏だ。
 
冬の寒さなどすっかり忘れている。
家の家事をそれぞれ分担できるので、家事の切り替え時間が減った。
 
何かを2時間やるのも、よしあれをやるぞという回数が少なくてすむので楽だ。
同じやるにしても、細切れにやると疲れる。
特に自分は。
 
思えばいい身分になったものだと思う。
いい身分になったからにはいい仕事をすることが求められる。

かすかなる気付き

暗殺教室を見たが、面白かった。
魂のこもった話だ。
 
起き抜けに考えたことは
強さの基本3要素
大きさ、速さ、正確さ
 
強さ(持続可能性)の上位2原則
組織性、循環(サイクル)

会社

日本は特に「同調圧力」が強い国だといわれる。
島国と村社会特有のものかもしれない。
言語も単一で教育も統一されている。
 
中学校のときと会社に入ったときに強く感じた。
 
逆に高校、大学は極端であることを許容する風潮があり、むしろそれを伸ばす場であったように思える。
 
個人の優れた特徴は大きな企業ほど評価されにくい。それを評価する仕組みがなければなおさらだ。
 
何か撮影したくても、許可申請だのやかましい。小回りが利かない。
 
かといって、個人レベルでは有効な働き方は難しい。
 
十数人から数十人レベルが最も小回り、発言力が維持できる組織であると考える。

進むべき道

一生懸命やったり、サボったりしながら生きた。
 
アスリートと呼ばれる人たちは、
一生懸命やっている。
正しい休息はサボりではない。
目標から目を離さずに、努力を重ねていた人たちだ。
 
自分はずっとやってきたものというものがないように思える。
思えた。
ただし、今自分の置かれている状況は他の選択をしたらたどり着いていない状態である。
それが、努力しようがサボろうがである。
そういう方法でしかたどり着けなかった価値ある状態だと信じたい。
 
すべてを正確に認識することはできない。
認識できる範囲で次の道を選ぶ。
意識的に選んだほうが、自分の納得のいく人生になるはずである。