ひさびさのはてな

一体誰が見るのかわからないが、書く。
久々に来たので、もう無くなっているかと思ったが、まだサイトが生きていたので、ほっとした。Hatenaさんには感謝。
 
島国大和さんがブログでCoCo壱番屋がまともだという記事を見て共感。
昔はファストフードも牛丼屋も良い物を売っていたと思うが、
最近のチェーン店の中身は何が入っているのか怪しい。
近頃、仕事が忙しかったので自炊せず外食中心になっていたが、体調がだんだん悪くなってきた。
たぶん、塩分と油のとりすぎだと思う。
 
じゃあ、チェーン店が悪いのかというと、たぶんそこだけの問題じゃなくて、
消費者側が安く買い叩こうとしすぎるがあまり、品質を落とさざるを得なくなったんだと思う。
あと、「金を払えば何をやっても良い」というような風潮が、店のコストをアップ悪したんじゃないかという推測。
金を払っても、金銭のやり取りの根本は、「助け合い」なのだから、
店員を召使のようにあしらってよい訳はないだろう。
 
先日飲み屋で、うちの上司の態度にイラついているような店員を見たが、店員の態度のほうが正しいように思えてきた。
やりがいもいまいちで、安いバイト代なら、その対応でも十分だろう。
 
ちなみに自分の仕事はBtoBの真ん中ぐらいの技術職なので、客が処理し切れなかったような難題をそのまま押し付けられているようなこともあり、
さらにそれを横流しすることも出来ず、なんだかなと思う。

天敵は脱線

忘年会の打ち合わせの難しいところは、
全く話が逸れているときなのかアイデアが膨らんでいるのか見分けるのが難しいことである。
 
仕事の話は真面目にやっていれば良いが、祭りの打ち合わせは難しい。
 
今日も衣装の話しをしていて、別の話に逸れ、指摘を受けた。
脱線による中断である。
 
思えば、インターネットをしているときというのはほとんど脱線の連続である。
ニコニコ動画を見るときも1時間見ようと思ってみない。
「何か面白いのないかな」、で見ていって、気がつけば2時間3時間、夜中、夜明けになっている。
ネットの広告はむしろその脱線を歓迎するものである。
脱線は自分の興味のあるものほど起こりやすい。
 
良く考えると、仕事でも起こっている。
延々と同じ話をし続ける人とか。
一個一個会話を分析していくと分かるかもしれない。
その会話は最短で何分で終わりえたか。

健康な時間

気がつけば前の記録から1ヶ月。
速すぎるものだ。
 
よく、時間を稼ぐという。
短い時間にぱっと終わらせて自由な時間を増やすのが良い。
ところが、自由な時間があっても元気でなければ仕方がない。
休日出勤するまいと過酷な残業して体調を崩してしまっては元も子もない。
 
時間と健康が両立しないと有意義な時間は過ごせない。

忘年会余興について

この文章は若手に向けて書きたいもの。
 
先日は忘年会余興の打ち合わせに参加いただきありがとうございました。
打ち合わせの結果 余興の内容は
恋するフォーチュンクッキー」と「フライングゲット」のメドレーになりました。
練習は10/4(金)18:30〜です。
 
と、いいたいところなのですが、火曜日の打ち合わせ以降違和感が拭い切れません。
もっというと昨年から持っている違和感が蘇って来ました。
正直もうこういった形の余興はやめたほうがいいじゃないかと思っています。
 
何でこんなことを言うかというと
僕が入社してからのC2技忘年会の余興というのは
本当にやりたい人(有志)が集まって
自分のやりたいことを言い合って
どうやったら面白いものができるか、見ている人をあっといわせられるかということを
工夫しながらやっていたように思います。
なので本当によいものが出来上がっていたと思います。
 
ところが昨年あたりから
「先輩がやれといっているからやっている」
「みんなが練習しているから(やらなきゃならないと思って)やっている」
「ルールだからやっている」
というような空気を感じました。
もしそう思ってやっている人がいるのならばその人の時間の無駄だと思います。
別に義務でも強制でも何でもないです。
毎年余興をやっていたのは有志がいたからやっていただけです。
練習する時間を稼ぐために一生懸命早く仕事を終わらせるような気迫がある数人の奇人(逸材?)が
いたので成り立っていただけです。今ではそういった気迫もだいぶ薄れてきたように思います。
僕はこの価値観を押し付けるつもりもないです。
仕事もプライベートも勉強する時間も大切です。
 
あるいは僕の勝手な思い過ごしかもしれません。
実はやる気に満ち溢れていたのかもしれません。
であれば、前回の打ち合わせでもっと恥ずかしがらずに
意見を出してもらっても良かったのではないかと思っています。
ここ数日、今後の余興の進め方をイメージしたのですが、
具体的な意見の少ない今の状況では、どうしてもうまくいくように思えませんでした。
 
あるいは僕の進行に問題があったのかもしれません。
なので、もう一回打ち合わせをしたいと思います。
来ていただいた有志の方にはどんな忘年会、どんな余興にしたいのかを話してもらえればと思います。
もっと適当でいいじゃない?という意見でもかまいません。
 
よろしくお願い致します。

リーダーは2021を考えよ

2020年のオリンピックが東京に決定した。
当面の国民の目標の一つにオリンピックが追加された。
これによって、一時的にそこそこ日本の景気は上がるだろう。
消費税増税は予定通り行われるだろう。
 
で、オリンピック後の日本がどうなっているかである。
そのあと衰退していくのではどうしようもない。
 
リーダーたちはその瞬間に半歩進んでいなければならない。
運動を継続させるには絶えず、半歩進んだ思考が必要である。

フィードバックについて考える

高次組織化において、フィードバックというものがある。
CAPDとも同じである。
アクションの結果を評価しながら、次のアクションを決めていく。
これがすべての肝である。
 
翻って税金。
今日やっていた富裕層VS国家を見ていて色々思った。
確かに、自分が自分の才能と努力をもってして大金を稼いだとして、
それを奪われずに住む国があるとすれば、そっちに行きたいなと少なからず思うだろう。
 
しかしながら、その大金を稼ぐための背景として、
その国家による金融の運営、治安、インフラ整備、法整備などがあったからできたことであって、
そこに恩返ししてもいいじゃないか、という考え方もある。
というか、その助け合いの原理が成立しないと、大金を稼ぐ人間も、その土壌の背景のほうも
徐々に衰退していくことになる。
 
アメリカの増税に賛成している裕福層のコメントで興味深かったのは
「税金の無駄遣いを監視したい」という話。
自分の払った税金が、きちんと自分の納得の行く形で使われているのかを見たい、というのは分かる。
国家の大納税者というのは会社で言うところの大株主になるわけである。
フィードバックということで考えると、その大金持ちは

バブルについて考える

そこまで経済に詳しくないがバブルについて考えてみる。
 
wikipediaを見れば書いてあるだろうが、見る前に自分なりに。
要は、実際の価値以上に市場での価値予想が膨らんでいる状態である。
 
最終的に実際の価値が予想に追いつけばバブルにはならないが、
たいていそうはならない。
 
2008年に中国に行ったときに、ろくに耐震性もないような新築の高層アパートが乱立している状態を見て、
すぐさまバブルだなと思った。
アパートの並び方がまるで子どもが作ったジオラマのような、
自然や歴史や近隣や将来への配慮が欠如した如何にも中国らしい短絡的なやり方だと思った。
恐らく、たいして調査、検証、検討、討論、目算もなしに始めたのだろう。
やっかいなのはそういったこともなしに一部の権力者が金と権力を振りまいてそういったことができてしまう体質が問題だろう。
まあ、最終的に裕福な中国人がたくさん生まれてそこに住んでくれるようになれば問題ないだろうが、
少なくとも私はあのアパートで囚われたように生活している幸福な自分というものをイメージできなかった。
 
価値があるかどうかは、「こういうふうにしたい、なって欲しい」と思ったことが、イメージどおりに、素早く、快適にできることだろう。そういった周りの人々の希望を叶えられる物に価値が生まれる。
しかしながら、世の中の仕組みは一つのことが様々に影響しあっているので、配慮のない願いというのは叶えてはいけない。ドラえもんの道具は願いを叶えるものであるが、もし1つでも普及させるのであれば、悪用防止のための抑止力と法律の整備がさぞかし大変なことだろう。
価値の高い物は、願いをかなえるものでありかつ、配慮のあるものである。
ドラえもんは配慮があるからあの道具を使っても良いが、のび太はまず配慮に欠けるのでたいてい最後に痛い目にあう。
 
価値があるかどうかは、もっと簡単な言葉で言えば幸福のためのものである。
幸福は人によって違い、定義しきれない。結局のところ経済と幸福観というのは密接である。
その時代の幸福の概念をうまく捉えたところに経済が良く回る。
そんでもって、うまく捉えられなかったものがバブルである。