大学とは

drunkzoo2006-03-14

今朝、日経ナビから「2008年度就職閃光(先行)登録スタート」なるはがきが来た。

早すぎだろ。
塾講のアルバイトもやっているのでついつい考えてしまうが、
小学生は中学受験。
中学生は高校受験。
高校生は大学受験。
大学生は就職活動。
社会人は立身出世。

そりゃフリーターやりたくもなる。
 
中村修二さんは大学の講演会で
「大学は受験をやめろ」
と盛んに言っていた。
ロジックはこうだ。
日本と米国を比べると、その研究に対する世間の評価に天と地の差がある(もちろん米国が天)。
彼が体験した日本と米国の二度に渡る裁判は、まったく異なるものと言っていい。
日本の裁判は彼の研究の対価がどうであるか、よりも大多数の人間(ここでは日亜の社員)の利益考慮が優先され、判決に数ヶ月かかった。
米国では彼が日亜の技術を海外で流用していないことの証明があくまで焦点であり、その裁判はたった1週間で終わったという。
米国の裁判が真実と正義を議論する場であるのに対し、日本の裁判は利益考慮を議論する場所であると彼は語った。
 
彼曰く、「優秀な人材は海外に流れる」と。
 
もし、大学が本当の人材育成の場であるなら、「大学が受験をやめるべき」だそうだ。
そうすれば、本当に勉強をしたい人間だけが大学に来るはずだからである。
大学は就職予備校化している。
 
大学が受験を辞められない理由のひとつは、受験料と入学金が重要な収入源だからである。
だが、その徴収方法はまったく理不尽なものであるといっていい。
まだ入学するかも決まらないうちに、合格後に入学金を迫るからである。
そもそも入学金、ってなんだ。授業料だけでいいじゃないか。
 
大学はもっと先行投資するべきである。
そして、成功した技術者が大学に寄付を行うという風潮を促すべきである。
 
そのためには、その大学にいたから自分は成長できたという機関とすべきであり、
大学の教育機関という機能をもっとクリティカルなものにすべきである。
 
現在の世の中の風潮は先行投資という考え方が不足している。
目先の状況に目を奪われている。
子供をまともに育成すらできない国になりつつある。
 
 
日経ナビからはがきが来たということは自分がこれから大学院生になるという情報がしかるべきところに提供されているということである。
自分が適切な情報を得るためには、自分の情報をある程度公開する必要がある。
過剰な情報保護を行えば、自分に必要な情報やサービスを得るために全て自分で検索を行わなければならなくなる。もっとも、情報の検索は以前よりも簡単になったし、どうでもよいようなダイレクトメールが増えるのも問題である。
 
何事も適度に必要である。