図書分類法

        • 以下の文章は、2/17日の日記と分類するため、便宜上、2/16になっているだけで書いたのは2/17である。

 
 
教育の根本に「生きる力」を据えたときに、教師は「人間として生きること」はどういうことか?ということを考え、さらにそれを教育に結び付けなければならない、とふと考えた。
 
人間の特殊能力は、「言語」を使えるということである。言語は他者に情報を伝えられるという点で、高次のフィードバック機能である。つまり、一人が「この先は崖になっていて進めない」ということを認識すれば、あとはその人が発した言葉で他の人は次の行動を判断すればよく、全員が追体験しなくてもよい。
会話による意思の疎通は程度の差こそあれ他の生物も行うが、特に「文字」を使えるところは他の生物と異なっている。「文字」は保存ができるため、何百年先の人間にも、情報を伝えることができるという点で、他の生物の意思の疎通の仕方とは圧倒的に異なっている(逆に古文あるいは通常の言葉でも理解できる人間が少なくなると、この「文字」の有用性は半減する)。
近年ITが発達し、ますますこの「文字」の影響力は増している。文字は画像や音声の情報よりも圧倒的に「軽い」。百聞は一見にしかずというが、データ量としては画像1枚よりも千文字のほうが軽いことがしばしばある。また「検索」という作業は、画像や音声よりも文字列のほうが圧倒的に処理が容易である。
 
で、長々と言語について書いて、何が言いたいかというと、
人間の得意技が言語、特に文字なので学問の分類もやはり、文字列すなわち書物によって行われるべきであると考える。それは昔から行われていたが、近年、「検索」によるワードの利用の仕方が変化したため、あらためて学問の区分の再考も必要かと思う(Wikipedia--図書分類法参照)。
 
学問の区分は日本においては受験、さらには理系文系という区分が進路に絶大な影響力を持っている。でも結局両方必要で、就職活動で「理系限定」にもかかわらず「コミュニケーション能力重視」などとも書かれている求人広告をよく見かけるからだ。