日本の方向性

        • 以下の内容は2/22日に書かれたものである(題目を分離したいため)。

これからの日本は、
江戸時代、明治時代、大正昭和時代、そしてこれまでの平成時代の4つの文化を補完するような文化を目指すべきではないか?
教育という視点をもってみると以下のようになる。
江戸時代の寺子屋は修業そのものが目的であって、それはあくまで生きていく過程が豊かになるが故のものでしかなく、それを使って金儲けをしようというものではない。教養である。
明治時代から、産業の重要性が注目され、その達成のために科学が過熱した(確かに仕事は理系のほうが能率が良いが、そもそも理系の割合はそこまで必要なのだろうか)。
 
脱線するが、養老孟司氏が「昔に戻れないなんていわないで、ためしに昔に戻ってみればよい」といった内容のことを言っていたが、同感である。現に音楽や映像業界などは、古い作品をリメイクして新たな売り上げを出したりしているのだから、実際戻ったりしているのである。また本宮ひろ志の「まだ生きてる」では中年のサラリーマンが山奥で縄文弥生時代の生き方をする様がリアルに描かれている。
ただその「戻る」という表現はあまり適切ではないように感じられる。むしろ「補完する」というほうが適切であると思う。「戻る」というと「退化」するというニュアンスがある。これまでの近代的生活を見直した上で「戻る」というならば、それはすなわち「進化」である。
 
大正昭和では、三種の神器に代表されるような物質的豊かさの時代である。
平成に入って、皆生活面での不自由がなくなると今度は自己実現をめざす、情報化社会の時代である。
これからは、物質的豊かさ「も」必要であるし、精神的豊かさ「も」必要である。
物質的豊かさのそろった今こそ、古い時代の精神的豊かさを見直す必要があるのではないか?