ゲーム依存症

        • 以下の内容は2/22日に書かれたものである(題目を分離したいため)。

 
ゲームはやる気になるが、データ解析や就職活動の幅を広げる作業ははやる気にならない。
これはなぜか?
ゲームは達成感が得やすくできているのが大きい。
例えば、
・ここからここまでが次の課題ですよ、というのが分かりやすい。(例えばステージ1のボスを倒したら終わり)。
・ボスを倒したら、音楽とともに終了したことが賞賛される。
・次なるミッションが発生する。
・クリアという概念が存在する。
 
では実際の仕事や作業はどうか?
・どこまでやると一区切りつくかは決まっておらず、自分で判断せざるを得ない。またその判断が適切であるかどうかは分からない。
・たいてい取り組み始めると、これからやらなければならないと思われる課題が、加速度的に膨大する(データ解析のバグの修正、着信メールの増加etc.)。
・いつ終わりかは決まっておらず、自分の判断で決められる(場合によっては初めから終わっているという事態になる)。
 
でも、仕事しないと進まんのよ。
ただ、今の学会に向けての研究は
・就職に関係がない。むしろ、就職活動を妨害している。
・自分にあまり得がない、逆にひどいものが出来上がっても、大きな損はない。
という思考があって、やる気が出ない。
ただ、学会というものを太田光のいう「表現の場」として認めるならば、率先して参加すべきものであろう。
 
ただ、研究自体は
・最先端の科学に触れられる。
・生物の根幹に関連する。
・エネルギー問題解決に寄与する可能性がある。
という意義を持っており、根拠は十分なのである。
だからこそ、就職活動と半々ではなく、一心不乱にやりたい。
でも、色々他の事をやりながら、やっていくしかないのかなぁ。
 
今やるべきことは何か?
「就職活動」か?「学会準備」か?「自分のやりたい研究」か?
とにかく、先生にペースを決められて解析するといういうのは気に入らないので、
自分で勉強してやることにしよう。そういう「preparation(覚悟)」をもって望むしかあるまい。そうだ、これだ!自分でやるんだ!誰かに決められてやるなんてつまらん!別に雇われているわけじゃないんだから!
まずは昔、自分でやろうと思ったことからはじめよう!
これこそ、「学問のすすめ」における福沢諭吉の「独立」の精神ではなかろうか!
大学院の研究は自分で考えてやるんだ!
 
テレビ版のエヴァンゲリオンの最終話で「僕はここに居てもいいんだ!」という台詞があったが、ようやくあれが分かった。個人的にはあの話はAirよりも好きである。
まあ、あれはなんというか仏陀の悟りというやつか?