書き殴り2

2000年の歴史を伝えきるためには学校というのはああではならないのだろう。
しかしながら、チャイムの音は恐ろしい。
 
理科も社会も現実と向き合う技術であり、生活技術(茂木さんの視点にないものではないか?)でもあり、大局を見渡す力でもある。
受験を完璧になくしてしまうかあるいは全部課すべきである。
 
就職にしても、就学にしても試験を課すが、そこにふさわしい人間かどうかはどの程度試験で測れているのかは数値化されているのだろうか?
同じ基準で採用し続ければ確かに気の合う仲間となるだろうが、
それが生き残れる企業になるかは甚だ疑問である。
 
国という概念は人間を幸福にするのか?
日本は海という強力な地理的な国境が理由で干渉しないし、されにくい国となった。
それゆえ他国と比べると自分の国に対する主張が弱いし、もともと主張する理由がなかった。
しかしながら昨今、ネット上で情報のやり取りが海外とも容易となると話は変わり、どうしても海外との比較をしなければならなくなった。国という概念は果たして人間にとって必要な概念なのだろうか?ところで、国に属さない土地は人間の概念の上では地球上に存在しない。あれば取り合いになるからだ。宇宙人から見ればただの陸地である。田中角栄が日本改造ではなく日本列島改造としたのにも訳がありそうだ。ドラゴンボールには国境がない。
 
教育の怠慢によって、科学の身につかない消費者が現れたとして、科学は発展しなくなる。
だから教員になって、そういう生徒を増やす。高々、20年で1000人。これは少なくないだろうが、
この生徒たちが後々に社会から批判されるような、あるいは搾取されるような社会ではだめである。
だからこそ、社会側の整備が必要である(この整備で別のバランスが崩れるようなことがあってはならない)。
資本主義はアメリカ式で、日本は不自然ながらもそれを採用?。
資本主義と本当の科学の共存できないのか?資本主義の財の源は石油などの資源であり、なくなれば終わりである。形而上学的な広告という価値が市場や我々の生活、生き方を支配してしまうのだろうか?