ようやく思い出した

以前に文章を書いてから、もうすでに2ヶ月が経過した。
あっという間である。
行く、逃げる、去るとはいったものである。
今日から気温が急に上がった。昼間の気温が10度を超えるようになってきた。
先週は食中毒らしき症状で寝込んだりしていた。
今日は4連休2日目である。
 
震災からようやく1年が過ぎた。
震災後から今日までは自分にとってもそれなりに激動であった。
最も大きいのは会社の寮を追い出されてアパート暮らしを始めるようになったことである。
それ以外に、車に乗るようになったとか、自炊をするようになったとかあるが、
おかけでこれまでまったく気がつかなかったことを気づけるようになった。
 
2ヶ月前の文章を読んでいて、
アパート暮らしをはじめるときに考えていたことをすっかり忘れていたことに気がついた。
世間的な目で見れば自分はとっくに所帯もちにでもなってなければいけない、
そのことにとらわれて何をすべきであったかすっかり忘れた。
思い出そうとして、考えてみると過去にできなかったこととかを考えていて、
結局それができたところでどうなんだ、と自問自答していた。
 
たとえば、もっと数学ができればとか、コンピューターに詳しければとか。
実際それに埋没するのも面白いとは思う。
1浪のときのセンター試験で数学をやっていたときが人生でもっとも集中していた気がする。
プログラミングを勉強していたときが一番楽しかった気がする。
 
もし、世の中が日本が50年100年先も平和だという見通しがあれば
そういったことに没頭することもやぶさかではないし、そのほうが世の中の役に立つ気がする。
ただ、世の中そのことを許せるほどの余裕がないと思った。
浪人中ぐらいから世の中は楽観できる状態ではないとうすうす感づいていた。
確かそのころにちょうどアメリカで同時多発テロがあった。
大きなきっかけは予備校で一流の授業を受けて、学校の教育体制がまだまだだと思ったことで、
これが元で、大学で教職課程を取った(最初は同じ授業料で受けられるなら儲けもんぐらいに思っていた)。
大学での生物物理では光合成の解明が進めば、エネルギー問題の解決の鍵になると感じ、それをもとに研究室に光関係を選んだ。
教職課程を受けている最中にも色んなことがあった。3000字のレポートを書ききるとか、生活指導の授業が面白かったりとか。カビの培養とか。
影響が大きかったのは教育実習で、この間は大学院受験も就職活動も録にできなかったため、やむなく母校に推薦入学した。
結局、教師は向いてないなと思った。
ただ母校の大学院入学は逆にプラスで、東大名誉教授から直接指導を受ける機会を得た(結果的にたいした研究論文は出せなかったが)。
色々考えが足りていないことを感じ、時間的に余裕があったことから、本を読み漁ったり、日本各地を旅行したりした。
 
で、就職した。
大学院時代からはじめた自転車乗りを本格化し、宮城→東京間を3日かけて帰ったりした。
この間に本や新聞も読んだ。
 
しかし、しばらくして、仕事は多忙化、東日本大震災
そうこうしているうちになんだか普通の人になってきた。
ここまでのことは、過去の日記でも読んでいれば分かることである。
 
そして急に今日思い出した。
「米国製エリートは本当にすごいのか?」がたまたま手元にあってパラパラっとめくっていて、
・エリートは過去の歴史を徹底的に学ぶ。
・日本に優秀なリーダーが足りない。
とかを読んでである。
昔から自分が思っているのは
現代の人間や人間社会、まだそんなに十分進化していないということである。
何が足りないのか良くわからないが、
人一人一人の習慣もまだ未熟だし(成熟している時代もあったが生活様式の変化とともに退化してきた気がする)、
政治家の立ち振る舞いもなんだか頼りない。
 
急になんだか自分がやるべきことが見えてきたような気がする。
まずは具体的に自分が「進化した個人」になる必要があり、そのために不足している部分に目を当てないといけない。
また、そのメソッドを他の人間にも伝える必要がある。
もうひとつは「進化した組織」の作り方を学ぶ必要がある。
それこそ、スタンフォード大学でも目指すか。