自分の変遷

drunkzoo2006-04-11

子供の苦労は、大人の苦労と比較できるだろうか。
おそらく、苦労の種類が異なるから全く比較できないだろうが、
自分の実感としては今の苦労よりも、昔の苦労のほうがつらかったと感じる。
 
自分にとって人生最初の、そして最大の変遷は、引越しである。
小2の夏休み。
小学校が変わった。
が、引っ越す前の小学校と、引っ越した後の小学校は地図の上では1kmと離れていない。
しかし、2つの小学校の間には、1本の川と、1本の線路と、甲州街道があった。
その隔たりは当時の自分にはおおよそベルリンの壁のように感じられたのだろう。
全く異国に来た気分であった。
 
(今でも、時々自分が昔住んでいたところに自転車をとばす。
30分かからないくらいで着く。
が、やはり全く異国であるという感覚は未だに残っている。)
 
この転校という現象は自分にとってなんであったろうか。
周りの生徒はお互い、1年半、もしくは幼稚園から、もしくはさらに幼少のときからの遊び仲間であったろう。
が、自分は他の生徒とは全く共有できるものがなかったといえる。
勉強をするしかなかった。
が、指導する先生の違いもまた、自分に寂寞感を与えるものとなったろう。
ただ、その担任の先生はだいぶ年でベテランであったから、おそらく他の先生ではあそこまで自分は落ち着いていられなかったと感じる。恩師である。
 
小3。ここでようやくクラス替えがあり、みなも自分も「変わる」ということが少なからず共有できた。
そして現れたのが新人のあの先生である。
この先生との出会いもまた自分にとって変遷であるといえる。
というか色々ものを考えるときの基礎になっているといっていい。
(このときの校長先生もまた立派な方で、その先生のコメントも未だにいくつか覚えている。)
自分が最初に先生に提出した日記の先生のコメントが
「あなたは私に何を伝えたいのですか?」
である。おそらく私の日記があまりにも年表的であったのが気にかかったのだろう(今日は何を食べた、誰々といつごろ何処で会った的な文章)。
一日の感想などを書いて欲しかったようである。
しかし、そのコメントは自分にとってはまるで理解しがたいコメントであったのか、
次の日の日記もやはり年表的にかかれていた。
 
(余談であるが、アメリカでは作文の学習方法として、研究者のようにありのままをできる限り正確に書く現場検証的な作文の授業と、詩歌や小説などで自分の考えを表現するような作文の授業が、別々に設置されているようである。)
 
自分が日記を年表的に書く理由としては、おそらくそのときの自分は、感情を文章化して、さらに日記にそれを書き込むという発想がまるでなかったのだと思われる。
先生は先生側で考え方を変えたのか、2日目からコメントの様子が変わっている。
書き方はこれでいいということになっていた。
小3の間はその先生にお世話になった。その間起こったさまざまな現象を先生はピッと捉えて、すぐに問題提起した。どんな些細なことも議論の対象になった。
こんな教育はおそらく後にも先にも受けたことがない。
すさまじい影響力であったといえる。
 
そして小4のとき先生は産休を取った。
代わりに別のやはりすごい先生が来た。短い間であったが色々しかられた記憶がある。
夏をすぎると先生は苗字を変えて登場した。
授業の中に自分の子供が誕生するまでをOHPにした授業を行った。
おそらく産休中も色々と生徒のことを気にかけていたのだろう。
こんなことをする先生はやはり後にも先にもいない。
 
そして小5、6
あろうことかどういうわけか、代表委員になった。
他の生徒よりも帰りが遅いことがあった。
会議が5時過ぎまでかかることもあった。
また、「自分だけちがう」という現象が起きた。
 
さらに、中学校でも後半は生徒会に入り、今度は「自分だけがちがう」という考えた方にとらわれるようになった。しかし、実際はこのころになるとみな入っている部活も異なって、
「みんな違う」という意識が芽生えるのだろうが、自分は「自分だけが違う」と考えているところが他と異なっていたといえる。中学校の生活は思い出したくないことばかりである。成績だけはよかった。成績だけは。あ、指揮者をやったっけな。
 
高校では部活を全うしたが、プライベートな活動はほとんど単独行動であるといってよかったかもしれない。協調性に欠ける。
部活を引退した後はクラス内で孤立した。
 
浪人し、予備校。
ここも変遷である。
ここで学んだことは、いろいろある。役に立つことばかりである。
哲学的思考、を学んだ(というか今まで埋まっていたものが現れた)。
 
大学。
おそらく、小学校であの先生に出会わなければ自分が今教職をとることなどなかったろう。
あの時先生は何を考えて僕らにあんなことをしたのかということを学ばざるして大人になれるのだろうかと考えた。
その延長上に世の中があることを学んだ。世の中の状況と普遍を子供たちに提供していくことが教育であるという直感を得た。後はいかなる方法でそれを提供するか。
 
自分のここ2〜3年の評価はおそらくもう少し時間が必要である。