けじめとリズムとそして出会い

人間が生きていくために必要なものとは何かを改めて考える。
 
・けじめ
茂木健一郎先生のクオリア日記にある香川小学校講演の録音、音声の中に、
「脳の成長にとってはAもBも重要で、さまざまな”モード”を体験させる必要がある」
という件があった。それを聞いていて、ふと自分の小学生時代を振り返ると、小学校の先生はよく「けじめ」とおっしゃっていたことを思い出した。つまり、やるべきときにやるべきことをやるというのが重要である、ということである。小学校の先生もおそらく、さまざまな”モード”(のんびりするときはのんびりし、真面目にやるときは真面目にやる)の体験というのをやはり念頭においていて、それを実現するために「けじめ」というキーワードを使ったのではないか、と考える。羽生善治さんも「頭の切り替え」をうまく行うことが強い棋士になるためには必要不可欠であり、それ以外においても同様であると言っている。子供の才能を輝かせたいがために、さまざまなありとあらゆる習い事をさせる親がいる。例えばその習い事においてさまざまな”モード”の違いがある、あるいは親自身がその”モード”に意図的であればよいが、「友達と遊んでいては駄目だ」という信念のものとに行われているとすれば大変な問題である。
 
・リズム
大学に入るとたいてい高校生時代よりも自由な時間が増える。医学部や法学部はよく分からないが、大半の学生はそうなのではないか?理系と文系で比べると文系のほうがその傾向が強いかもしれない。そうなったときに、生活のリズムを崩す可能性が高くなることが予想される。たとえば、今日は1限目がないから朝寝坊できるとか、あるいは明日は授業がないからカラオケでオールできるとか。しかし、生活のリズムは一度崩れると元に戻すのは難しい。それは時差ぼけという言葉があることからも予想できるし、自分自身実験で徹夜などするとのちのち体調を崩しやすい。また、仕事をてきぱきと行っている人ほどそういった生活のリズムの管理をしっかりと行っているように感じる。古文の横尾先生も1年のうちで休みの日に寝坊することはせいぜい2,3回であり、生活のリズムの重要性を訴えていた。これはけじめの話とも関係があるといえる。生活のリズムが身体に与える影響を考える。まず、睡眠。これは疲労と回復のリズムであるが、脳と体全体のリズムに影響あり、盛んにこの重要性は訴えられている。次は食事。これは内臓器官のリズムに影響がある。他には、排泄や運動、といった影響が考えられる。それらは複雑に絡み合い、人間の活動に大きな影響を与えていると言える。だから少なくとも、睡眠と食事のリズムは確実に整えなければならない。
 
人間は太陽の昇降と、季節の変化の二つの影響を自然界から受ける。もっと細かく見ると月の運行なども関係があるかもしれない。人間には時間時間でさまざまなリズムの重ね合わせが起こっていて、一日においては時間ごとに、一年においては季節ごとに、あるいは天気、年齢ごとに、身体、脳のモードが異なるといえるのではないか。また人は太陽の位置から時間を知り、季節の変化から洪水の予測し、そのときそのときでやるべきことをすることで発達してきたと考えられる。
このけじめとリズムを今一度厳密に、そしてより一般的な知識として見直すことで人間の豊かな生活のために役立てることができるのではないだろうか?
きっと、毎日のお祈りや、年一回の行事にも何か人に与える影響があるのではないか?
 
学校にはたいていスポーツも勉強もできてしまう人がいたが、そういう人というのはこのリズムのコントロールというものがきちんとできていたことも要因の一つとしてあるように思う。
 
物理においても波というものが一つの注目すべき現象であることも何か関係があると思う。
 
外では小学校の運動会がクライマックスのようで、子供たちの歓声が聞こえてくる。
このパワーはいったいなんだろう。
 
人生について考えると規則正しい周期性に加えて、衝撃的な出会いというものが存在する。それは物であったり人であったり事件であったりする。それらが人生をがらりと変えてしまうことがむしろ普通であったりする。むしろ率先してそういう出会いを取り入れることで人生の深みが増すように思う。