性的な問題

ウィキペディアで「性教育」を調べたところ、
中立的な観点とされていた。
 
生物の基本的な欲求として、
食欲、排泄欲、睡眠欲、性欲などの生物学的に見ても不可欠な欲求がある。
人間ももちろん生物だからこれらの欲求を持っている。
このうち、食欲や睡眠欲、排泄欲は日常的なありふれた欲求として社会の表舞台に立つが、
性欲は人間の社会の表舞台にはなるべく立たないようになっている。
 
なぜか?
 
国会でも性教育について議論されたことがあるようで、youtubeでも見られたが、なんとなく男性の国会議員らはニヤついた顔をしていて、議論を立ち上げた女性議員は気まずそうな態度になっていた。辛うじて小泉首相はまともに議論しようという姿勢を示してはいたが、そのときの議論はまとまる様子ではなかった。この光景を見て、少なくとも日本は性的な問題に対する議論がまとまってはおらず、また深まってはいないと感じた。
 
食事や排泄のマナーはかなり普及しているように思うが(一部では公共のトイレ等がひどい使われ方をしていることもある)、性的なマナーはどうなのだろうか?
 
性欲が表舞台に立たない理由として、
他の欲求が人間個体の本能であるのに対して、
性欲は人間の肉体的な面を男と女が共有しなければならないということである。
一人の人間の問題ではなく複数の人間のかつ肉体的面であるという点、さらに新しい命の問題であるという点が問題を難しくしている。
 
中国では「一人っ子政策」として、人間の誕生を政治が制限したり、アフリカではエイズが問題になったりしている。日本は少子化している。
 
食欲や排泄欲、睡眠欲は満たせるときに満たせばよいが、性欲は著しく満たすわけにもいかず、また全く満たさないわけにもいかないコントロールの難しい欲求である。また、性的な問題として相手が誰か?というのが問題である。他の欲求では対立関係は成り立ちにくい(食糧不足のときは性以上に深刻な対立関係が形成されるけれども)が、性的な欲求では外見の良し悪しや遺伝的な問題もあり、しばしば、良い相手を巡っては対立が存在しうる、アイデンティティー、個性の問題でもある。
 
 
これまでをまとめると、性的な問題が表舞台に立たず、複雑化している理由として、
・理性的な社会の中では露骨な肉体的視点が強調されるのは避けられる。
・他の欲求がある程度個人的なものであるのに対し、性行為には男と女の肉体、それから生まれてくる子どもの肉体が関係し個人的な問題ではない。
・男の視点と女の視点双方の視点が不可欠だが、二つの立場に同時に立てる人がいない。
・深刻な命の問題。性病の問題。
・政治的な視点で考えると、子どもが増えてほしいとき、そのままで良いとき、増えてほしくないときがある。時代、国によって評価が分かれうる。
アイデンティティー、個性、プライバシーの問題。相手を巡って駆け引きがあり、対立しやすい。
・性的な問題は犯罪に発展しやすい。特に男性は犯罪行為ととられやすい。
 
他の生物はこれらを絶妙なバランスで達成してきたと考えられる。