「自分でできるようにならないといけない」ということが強調される訳

大学院を選ぶときも、就職活動をしているときも、
繰り返し聞かされたのが、このフレーズである。
意味は、誰かの指示を待つんじゃなくて、自分で情報収集して考え次の行動に移すこと。
という意味のようである。
確かに、新しい考えを生み出そうと思ったら、あるいは新しい仕事を始めようと思ったら、そういう能力は必要だと思うし、いいことだと思う。
しかし、そういう話を聞いていて気になるのが、あたかも
最近になってそういう能力が必要とされるようになった、
あるいは、最近の若い人間はそういう能力が低くなった、
というニュアンスに聞こえるのだ。
 
なぜか?
前者は
氷河期と売り手市場の人数的ギャップが教育体制を崩壊させた、
仕事の種類が多様化した、
大規模プロジェクトよりは小規模プロジェクトの方が採算が取れるようになった、
全体的に少子化になっているから、仕事の量に対して人数が減り、昔に比べて莫大な量の仕事を少人数でやらなければならなくなった
後者は
そういう教育に慣らされていて、自発的に行動できない人が増えた、
忙しすぎてやりたいことも見つけられない(上と関連)から、

憶測に過ぎないけれど、こんな感じか。
前者の理由が近いと思うがどうなのだろうか。
やはり、「人数的な制約」がひそかに出てきているように思う。
どう考えても、部下より上司の数が多いのだ。
昔はピラミッド型だったのが今では逆ひょうたん型?かなんかになってしまっている。
いつかはそうなるだろうと思っていたが、もうすでに大学院でもそんな状況が起きている。同期という発想がない。後輩は2年離れている。