まだ何もやってねぇ

人生今まで色々あったなぁ。
などと、振り返ってみたが、よくよく考えてみればまだ何もやってねぇ。
学生時代は誰かが作った学習計画、部活、ゲーム、テレビ番組、アルバイトに乗っかっただけだ。
入社してから今までも会社側が提供している実習、業務、イベントに乗っかっているだけで、
自分で仕事を取ってくることもできず、社会に役立つ仕事を作り出しておらず、余計な仕事を増やしているだけだ。
飲み会だって、誰かが企画したものか、飲み屋の宴会コースに乗っかっているだけだ。
 
唯一自分でやっていることといえば、自転車に乗って写真を撮ることと、
こうやって思い立ったときに日記をつけるぐらいである。
 
生きていることが無意味に思えて死にたいと思うこともあったが、そもそもまだ何もやってない。
自分で計画することもせず、他人の計画に乗っかって、
失敗しても悔しくも何ともない、生きている実感に乏しい。
 
つまりは「涼宮ハルヒの憂鬱」である。
 
 
逆に、自分でやろうと決めたときに顔を出すのは
阿部公房の「壁」である。
 
圧倒的に広大な砂漠へと踏み出していかなければならなくなる。
そのとき必要なのは、生物的な欲求を除いた純粋な欲求、すなわち好奇心や感情や勘といったものである。
それを見つけるときの鍵は、開高健の「任意の一点」の試験管であったりするのである。